今日は父の嘯月命日、18年になります。工房の家は父の夢、庭が気に入り、終の住処として一大決心をして求めました。時間があると草取りや水まきなど庭の手入れをして老後を楽しみにしていました。ところが人生は残酷。74歳の事故から徐々に下り坂。願いは一度も叶わず、要介護5、84歳で元結核療養所だった病院で息を引き取りました。没落した家を祖父が再興し、それを長男として守る責務と重圧、3世代同居ゆえの嫁姑の壮絶な争いなどが影響してか、考え方は偏狭でした。私は小さい頃から父が大大好きでした。しかし大人になり、離婚したいと相談すると、俺が我慢したんだからお前も我慢しろと、離婚の報告をするとこの家の恥、敷居は二度と跨がせないなど酷いことも随分言われました。唯、その父のお陰で今があり、此処に住んでいます。庭の手入れをしていると父の気持ちがわかる様に感じます。日々表情を変える草木との会話は、全てから解放される至福の時だったと思います。この家と庭を美しく守ることが報恩、日々務めてゆきます。感謝